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PAIOTU 第1話 プロローグ [PAIOTU「プロローグ」]

「ドキドキする」という表現は、一種の心情的昂揚を表すものとしては非常に的確だ。
だが、その表現の陳腐さに於いては他の追随を許さないほど安易で軽々しくあり、
その軽々しさゆえ、今日も世界のどこかで易々とその言葉を紡ぐ若者がいる。

決して、朝のテレビで見る漢方酒のCM宜しく、身体の不調を訴える表現ではない。

「ドキドキしちゃったよ」
まるで、返事をする者がいるかのように、会話調の目覚めの一言に、
幹本隆彦は軽いばつの悪さを感じ、舌打ちとともに腰の辺りでもたついていた毛布をはがし立ち上がった。
勿論、一人暮らしのこのワンルームマンションに会話を成立させる相手など居る訳がない。

手元の携帯電話を取り時間を見ると、まだ7時過ぎ。
アラームを設定した時刻よりも30分以上も余裕がある。

なにか、酷く損をしたような気分になり、もう一度ベットに潜り込もうかとも思ったが、
それをしてしまうと、今度は確実に寝過ごす自信が有ったので諦める事にする。

会社に向かう準備をするにも10分も掛からないのでまだ早過ぎるし、朝食はそもそも取る習慣自体が備わっていないので冷蔵庫の中には碌なものも無い。
仕方が無いので、寝起きで喉はいがいがするが煙草を咥え、長くも無いが短くも無い時間をつぶす為にいつもならつけないTVのリモコンを手に取った、が、

「うをっ、っと、わっ、アツッ、ヤベッ」
画面いっぱいに現れたその映像に、何の準備もしていなかった心の動転に寝起きの身体は付いていく事が出来ずに、咥えた煙草を取り落とし、一枚しかない化繊の毛布に無残な茶色い穴を開けるはめに陥った。

朝っぱらからなんてモン流してんだ。

たわわな二つの膨らみを唯一の売りにしている急進中のグラビアアイドルが、そのたわわな膨らみを画面いっぱいにゆらつかせながら、蝶ネクタイの微妙な笑顔のアナウンサーと今年の流行になるであろう水着のレポートをしているところだった。
面積の少ないその布キレのどこが流行りの一端を担うのか、全く理解は出来ないが、
「夏って、もうサッカー終わってんじゃねぇの?」
化繊の焦げるくしゃみを誘発しそうな気持ち悪い匂いに顔を顰めながら、その能天気な笑顔に毒づく事はしておくことにした。

「これじゃねえんだよな」
目が慣れてしまえば、別段驚くほどでもない頻度で目にしている今だ続いている画面いっぱいに揺れるそれに向かって序でに思っていることを口に出してみる。

違う、これは根本的に違っている。

こう、目覚める直前に手で掴めそうな近さで揺れていたそれは、非常に理想的で大きさとか質感とか、色とかそういうことではなくて……
夢の中でふにょふにょと、そう!!ふにょふにょだ!!
ふにょふにょとゆれるそれは目の前いっぱいに広がって、分裂して、手は届かないぎりぎりのところのはずに有るのに、たくさんのふにょふにょに圧迫され押しつぶされそうな息苦しさを感じて、今まで感じた事のないような幸福感と満足感に満たされて。

「おっぱいがいっぱい?」
別に性的欲求が満たされていない訳ではない。
世の24歳男性の平均値などは知らないが、その辺の世の男性程度には相手に労する事もなく、比較的健全な方法をもって放出する習慣はある。
なので、間違ってもあまりにも飢餓的状況下に置かれたゆえの不健康な願望によるものではない、はずだ。
もっと、何か違う。
なにかもっと甘酸っぱい感じで。
こう、例えば中学生ぐらいの頃に、制服のスカートが微妙な丈を保つ高校生のお姉さんが駅の階段を上がるのを5メートルぐらい後ろからわざと遅れて首を斜め45度に必死に保ちながら息を殺して上がっていっていた時の感じに非常に近くて……
揺れる膝裏とぎりぎりのところで見えなかった中身に、息を呑みつつ押えた胸の音の速さに赤面した時のあのむずがゆいような嬉しいようなそんな感情。
そう、あれはそんなかんじ。

覚醒の進度によって、だんだんとおぼろげな映像に変わりつつあるふにょふにょが名残惜しくて、指を少しだけ動かしてみようと伸ばしかけたら、設定してあったアラームが中途半端な完成度で先週観た映画の主題歌を朗々と歌い上げた。

人は恋に落ちる対象が人単体ではなく、そのパーツだけという事があるかもしれない。
残念ながら幹本は、まだそのことに気が付くほど特殊な能力の持ち主ではなかった。










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